2014年 01月 23日
ずいぶんと間があいてしまったが、2年前の秋に全国竹会議に出席することがあった。
大阪市内で開催されたのだが、多くの竹材業者の方や竹の研究やアーティストの方と交流する機会に恵まれた。
竹についての様々な角度からの講演があり、意外に知らないことばかりで竹の奥深さを知る。
いつも竹を目にしているのだが、竹について考えることは少ない。
現代人の竹の知識はとぼしく、春に伸びるとか 食べれる とかぐらいだと思った。
竹製品に関しても目にしてる割にどのようにしてつくるのか知らない。
我々 日本人はいつのまにか 竹 のことを忘れてしまったようだ。
食べる方はそうでなく、いまだ健在かと思っていたが、昨年の福岡県八女市で開催された全国竹会議では若い世代の竹の子離れがはげしく、
たけのこの食育をすすめないといけないと議題にあがったほどだ。
竹の子をめぐる冒険は竹の子の食育へもその道をすすめるべきかと思う。
莞鳴
2014年 01月 19日
寒中お見舞い申し上げます。
明日1月20日は大寒。
その前日に京都では雪が降り積りました。
昔の暦や節は不思議とそのようになるものですね。
小生はお正月の元日を京都でむかえ、その日のうちに東京に移動しました。
銀座にて歌舞伎をみるためです。
歌舞伎の初級者の私は見どころがわからず、ただただ、呆然と眺めていました。
イヤホンガイドを借りたらよかったと後悔気味に見ていると。
忠臣蔵の外伝(スピンオフ)的な話「松浦の太鼓」の中で 歌舞伎役者扮する討ち入りの志士のひとり大高源吾が、
竹売りとして登場するシーンがあった。
江戸の元禄の頃、竹を行商で売る商売があったんだと歌舞伎で知る。
それにしても忠臣蔵の討ち入りは冬。江戸の人々は太い竹を何に使うのかな?とおもっていたところ。
京都に戻り、うお嘉に訪れるとすぐにわかった。
門松か!!
この門松は4代目うお嘉の主人のハンドメイドだそうだ。
代々、門松を自らの竹林の竹を使いつくるのが恒例行事。
4代目は赤穂浪士のごとく忠実に門松を毎年つくるのだそうだ。
そういえば、その歌舞伎の演目の話のなかで竹を売る忠臣蔵の志士は歌の師匠、宝井其角より、歌の付け句をとお題をだされる。
「年の瀬や 水の流れと人の身は」と其角が詠む。
そして、源吾の返した付け句がこの物語のキーとなる、
「明日待たるる その宝船」
この歌の下句は まさに念願の討ち入りの日が明日であると意味している。
しかし、その時 師匠の其角は歌の意味がわからず、最後の場面で松浦の殿様がその付句の意味を悟るところで、
忠臣蔵で有名な山鹿流陣太鼓が鳴り響くというあらすじ。
なんでもあとあとに真相は明らかになるものなのだ。
たけのこを愛する皆様にとって「この春 またるる 竹の子料理」となるのではないでしょうか?
この春はたくさん良い竹の子が出ますようにと忠臣蔵の志士の忠孝を讃えながら祈ります。
そして、 私は志士は志士でも さしずめ猪肉(ししにく)を食らうのがせいぜいでござる。
たけのこ畑を荒らす憎きイノシシ「吉良を討ち取ったり!!(」どんどん!!山鹿流陣太鼓。)荒らされた農家の方に代わって仇討とばかり全部たいらげました。
こんな具合で今年も続けてまいります。
本年もたけのこ日記よろしくお願い致します。
合掌
莞鳴