2011年 05月 28日
なんの世界でもトップは目立つもの。
スポーツの世界でもトップの成績を残すと賞賛されます。
1番になった金メダルの選手はマスコミでの扱いやその後の生活までかわるといいます。
逆に2番の選手は僅差の実力でもその名は金メダル選手より先に忘れ去られます。
金メダル選手にくらべ、印象が薄くなるからでしょう。
さて、たけのこ(筍)においてもその傾向は同じようです。
食用のたけのこの中で1番の金メダルはご存知、孟宗竹のたけのこです。
皆さんが召し上がるものはこれですね。味において、断トツのトップです。
では 2番はなんでしょう?
メンマ(麻竹)もありますが、ここは ハチクのたけのこ(筍)を推したいですね。
![2011_0520遅くでる白子平成二十三年5月7日小塩0008](https://www.kyoto-uoka.co.jp/blog/wp-content/uploads/2011/05/2011_0520遅くでる白子平成二十三年5月7日小塩0008-225x300.jpg)
5月後半にでるハチク
ハチクは5月中旬から5月末に採れるたけのこ(筍)で、
孟宗のたけのこ(筍)より繊維質があり、かたい食感。
こちらの方が孟宗より好きだという方もいます。
通はイブシ銀を好むといいますが、その傾向はたけのこ界にもあるかもしれません。
このハチクは破竹と書きますが、「破竹の勢い」という様にこの時期にどんどんでて、育ちます。
短期間で一度にでて、大きくなるその勢いがある様からきてるのでしょう。
これからの梅雨に向かいハチクを食して ハチクのごとくの勢いで頑張りたいものです。
莞鳴
![2011_0520遅くでる白子平成二十三年5月7日小塩0017](https://www.kyoto-uoka.co.jp/blog/wp-content/uploads/2011/05/2011_0520遅くでる白子平成二十三年5月7日小塩0017-300x225.jpg)
湯がいたあとのハチクのたけのこ(筍)
2011年 05月 22日
3月から続いた春のたけのこ(筍)シーズンも終わろうとしている。
5月中旬の頃のたけのこ(筍)を名残りのたけのこ と呼ぶそうだ。
名残り惜しむといった風情が感じられる。
![名残りのタケノコ](https://www.kyoto-uoka.co.jp/blog/wp-content/uploads/2011/05/2011_0520遅くでる白子平成二十三年5月7日小塩0001-300x225.jpg)
名残りのたけのこ
私の知り合いの農家の方も5月15日にはたけのこ堀りを終了された。
堀りが終わりやれやれとされたでしょうと声をかけると、
「なにをゆーとる。ここからが大事なんや」とお叱りをうけた。
農家の方はこの時期、来年に向けた大事な作業にむかう。
まずは 今年残した親竹の育ち具合をみさだめる。
周りからでる細い竹の子を伐採する。たけやぶの掃除といわれている。
そして、なにより 御礼肥えをすることが肝心だといわれている。
この作業は竹の子農家(竹林農家と呼ぶらしい)しか、知らない目立たないが大切な作業だ。
田植えの時期と重なり、時間を割くのが難しいとこぼす農家の大将。
たくさん良質のたけのこを生み出した土地に御礼の気持ちを込めて肥え(有機肥料)をまく、
掘りこした場所に特に丁寧にまく農家の大将。
「これが良いたけのこ(筍)を育てる秘訣や。」
御礼肥えの中身をそっと教えてくださった。
中身は企業秘密(?)なので口外できないが、いつか許可をいただこうと思っている。
御礼肥えのききめは来年の春にわかる。
楽しみだ。
莞鳴
2011年 05月 04日
いつの頃だろうか「母の日」という日ができたのは?
花屋ではカーネーションがたくさん並べられる。
商業的な感じがするが、「母の日」を無視することもできず、
何かプレゼントになるものが無いかと頭をめぐらす。
あ、そうだ竹の子。
![2007_0410白子 料理 桜070008](https://www.kyoto-uoka.co.jp/blog/wp-content/uploads/2011/05/2007_0410白子 料理 桜070008-150x150.jpg)
そういえば、ご存知の竹の子の種類は孟宗竹(もうそうちく)なのですが、
名前の由来を知る人は意外に少ないので驚く。
戦前に教育を受けた方や落語や三国志を好きな方はよくご存知だ。
「二十四孝」という、忠孝のエピソードを集めた道徳の本に孟宗竹の竹の子が登場する。
といっても竹の子が主人公でなく、孟宗という母親おもいの青年が主人公である。
母ひとり、子一人の貧しいが、親子仲むつまじく暮らす孟宗は
幼い頃から母を楽させようと、勉学に励み、出世することを目指す苦学生。
親孝行な孟宗に対して、母は負担にならないようにと気をつかい、
無理な仕事をして病の床につく。
看病する孟宗が母親に何か欲しいものはないかときく。
余命長くないと悟る母親は 死ぬ前に 竹の子 を食べたいという。
しかし、時期は春でなく、雪積もる真冬。
近所の人々が止めるのもきかず、竹の子を探しにいく孟宗。
母のために雪山をこえ、雪深い竹林へとわけいる。
果たして竹の子は?!!あるわけがない。
がっくりとうなだれる孟宗。
母のことを思い、孟宗はその場で泣きだすのです。
するとその涙の落ちた雪の表面が溶け出し、地面がみえ、土がもりあがってくる!!
不思議に思い、掘ってみると竹の子が鈴なりに出てくる。
孟宗は喜んでその竹の子を持ち帰り、母親に食べさせた。
すると母親の病は治り、元気になった。
母が竹の子を食べ元気なったことは近所はもとより、呉の国でも評判になった。
親孝行な孟宗にちなみその竹の子を出す竹林は孟宗竹と呼ばれるようになった。
母親おもいの孟宗は呉で出世した実在の人物である。
まだ、GWでも大原野には孟宗竹の竹の子がでている。
孟宗にあやかるわけでないが、
母の日に竹の子を贈ることにした。
莞鳴