2011年 11月 28日
たけのこをこよなく愛す方々は女性の方が多いような気がする。
春に採れる瑞々しいたけのこは女性の健康と美容に良いように作用するからかもしれない。
それに、味わいも淡白であり、深い滋味である。
孟宗竹の名の由来で以前、紹介した孟宗の母も病床に臥し、「たけのこを食べたい。」と
息子、孟宗に願ったほどだ。
先日、陶芸家の展示会で知り合いになった方に孟宗の母のエピソードをお話すると、
死に間際に「たけのこを食べたい。」といわれた伯爵夫人のことを教えていただいた。
ヨーロッパのオーストリーの黒い瞳の伯爵夫人こと、クーデンホフ光子夫人である。
夫人は旧姓、青山光子、東京・牛込の町娘として生まれ。明治25年にオーストリアの伯爵ハイリッヒ・クーデンホフに見初められ結婚、
激動の欧州に渡り、7人の子どもに恵まれた。しかし、その後、すぐに夫を失い。帰国ぜず、気丈にも子どもを育て、
黒い瞳の伯爵夫人と称されたそうだ。また、その育てた子の一人が次男のリヒャルトはEU連合の生みの親として知られる逸材である。
![ミツコと七人の子供たち (河出文庫)](http://ec2.images-amazon.com/images/I/51SXllpC6RL._SL500_AA300_.jpg)
しかし、夫人の人生は決して楽なものでなく、ふるさとの家族からは絶縁され、異国の欧州では白人の貴族社会で
異端扱いをうけ、夫の死後は迫害にあいながらもそれと戦い、厳しいものだったと光子さんその手記は物語っている。
その気丈さと日本人とっての誇りをもつ光子さんこそ元祖なでしこJapanと呼ぶにふさわしいように思えます。
ご夫人が晩年に望郷のおもいで、口にされていた言葉。
「たけのこが食べたい・・・。日本に帰ることができれば・・・。」
もし、オーストリアに行く機会があれば、黒い瞳の伯爵夫人のお墓にたけのこの佃煮を供えたいものだ。
合掌
莞鳴
2011年 11月 25日
![RIMG0276](https://www.kyoto-uoka.co.jp/blog/wp-content/uploads/2011/11/RIMG0276-150x150.jpg)
竹林での土入れ作業をカメラにおさめたいとおもい、
いつになるか待っていた。
晴れの日が2,3日続く頃がいいんやといわれた。
うお嘉の四代目は天候をみてその日を決めた。
粘土質の土の竹やぶに雨の降った後は作業が困難になる。
それで、晴れの日の続く日を待っていたのだ。
今年の11月は例年より暖かい。
11月15日から18日の間に四代目は土入れ作業を行った。
稲作される農家はわらを敷き詰めてから、土をそのわらの上にかけるのだが、
四代目は枯葉を敷き詰めていた。うお嘉周辺の落ち葉をかき集め、
それをすでに敷き詰めていた。その上に粘土質の土をかぶせていた。
![RIMG0286](https://www.kyoto-uoka.co.jp/blog/wp-content/uploads/2011/11/RIMG0286-150x150.jpg)
ユンボでかき上げられた土を一輪車で運び、土を全体にまんべんなくかける。
それを何度もひたすら続ける作業だ。
四代目は無言で作業していたが、竹に語りかけるように
やさしく、丁寧に土を運び、ならすように土をかぶせていた。
![RIMG0289](https://www.kyoto-uoka.co.jp/blog/wp-content/uploads/2011/11/RIMG0289-150x150.jpg)
まだ見ぬ地下のたけのこにそっとささやくような姿があってこそ、
愛情のこもったたけのこが育つのだとおもった。
以前、白洲次郎の物語をNHKでみたが、
カントリージェントルマンという表題があったことを記憶している。
意味合いはことなるかもしれないが、
ここ西山の竹林畑には四代目のようなカントリージェントルマン達が、
この地域で竹林を守っているように思え、心に感じるものがあった。
秋の晴天の光を浴びて、
うお嘉の庭に干し柿がうれしそうに垂れ下がっていた。
![RIMG0281](https://www.kyoto-uoka.co.jp/blog/wp-content/uploads/2011/11/RIMG0281-150x150.jpg)
2011年 11月 13日
多くの方が たけのこ って自然に生えてくると思ってらっしゃるようだ。
もちろん、たけのこも自然のものゆえ、自然に生えるのですが、
出荷される京都ブランドの竹の子は農家の方の愛情が注ぎ込まれている。
11月から12月にかけて西山周辺の竹林に行くと竹林の足元にワラが敷き詰められている風景が目に入る。
まるでじゅたんを敷き詰めたように綺麗にワラが敷き詰められている。
![平成23年わらひき風景](https://www.kyoto-uoka.co.jp/blog/wp-content/uploads/2011/11/平成23年わらひき風景-150x150.jpg)
これは冬場に備えて、地下のたけのこを暖めるためと
ワラ自体が肥料になるようにとの意味で敷かれるのだそうだ。
越冬を迎える寒がりの竹にそっとウールのコートをかけるようにワラを敷く農家はまさにカントリージェントルマンですね。
このあと土入れの作業へと続くのですが、大変な作業となります。
これは京都方式とよばれ、京都独特の作業だといわれます。
竹林農家の方の様々な愛情作業により おいしい京都のたけのこが生まれるのです。
うまいたけのこは竹と人との愛の結晶なんやね。
カントリージェントルマンに感謝!!
莞鳴
2011年 11月 05日
土佐の高知には坂本龍馬先生だけでなく、
貴重な竹がある。
高知の須崎市安和のわずかな谷あいの竹やぶにしかできないもので、
竹の表面が虎の皮状になっているので虎斑竹(とらふだけ)と呼ばれる。
その特殊な文様は江戸や上方の数寄者に貴重がられ、
江戸時代に土佐藩の山内家が秘密にしておいた場所で、明治まで生息場所を知るものは
高知でもごくわずかだったといわれる。
![2011_1028母古希の祝い 高知タケトラ0227](https://www.kyoto-uoka.co.jp/blog/wp-content/uploads/2011/11/2011_1028母古希の祝い 高知タケトラ0227-150x150.jpg)
その竹を他の場所に移植しても、同じような虎の文様柄ができず、その場所にしか取れない。
現代科学でもその竹の文様が何故でそのエリアだけにできるか解明されていない、
神秘的な場所であり、竹なのだそうだ。
あまりの貴重さに世界からも注目され、イギリスのBBC放送が取材に来て、
ミラクルバンブーと賞されたそうだ。
![2011_1028母古希の祝い 高知タケトラ0225](https://www.kyoto-uoka.co.jp/blog/wp-content/uploads/2011/11/2011_1028母古希の祝い 高知タケトラ0225-150x150.jpg)
今回は うお嘉の常務と若女将が現地に乗り込み、虎斑竹を扱う、「竹虎」の四代目社長に山岸義浩氏にお願いして、
その貴重な虎斑竹の育つ山に入らしていただき、竹製品になるまでの工場を見学させて頂いたおりの貴重な写真を掲載した。
竹の持つ 不思議な魅力には今の現代科学でも解明できない事実を知り、
ますます竹について知りたくなった。
そして、日本人が忘れていた竹との関係をもう一度知りたくなった。
![2011_1028母古希の祝い 高知タケトラ0234](https://www.kyoto-uoka.co.jp/blog/wp-content/uploads/2011/11/2011_1028母古希の祝い 高知タケトラ0234-150x150.jpg)
竹虎 四代目山岸社長(真ん中)と記念撮影・高知・須崎
取材協力頂いた竹虎さんのHP(楽しくて、とても勉強になります。おすすめします)
http://www.taketora.co.jp/taketora/ta0002.html?grid=top_gNavi
莞鳴