たけのこ (筍) 料理の店 京都 うお嘉

〒610-1121 京都市西京区大原野上里北ノ町1262
営業時間 : 11時30分~22時00分(入店は20時まで)
定休日 : 月~木曜日の間で不定休

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たけのこ(筍)にまつわる事柄やうお嘉での日々の出来事を徒然なるままに書き留めていきます。

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竹の子堀りを掘り下げてみる その2

 

 

 

 

 

 

 

 

竹の子の堀り方や道具の違いからみえてくるものがある。

この写真に写っているのが京都・乙訓(京都西山地域の旧名)独特の竹の子堀りに使用される道具だ。

「ほり」とか「ほりくわ」と呼ばれている。

同じ京都でも丹波や山城地域の道具と違う。

前回でも記載してましたが、故・上田教授の名づけられて京都式竹の子栽培を明治よりされている農家では決まってこの「ほり」を使われます。

偶然?そうではありません。この「ほり」は他の固い地面では使用しにくいのです。

やわらかく、ふかふかした土にしか適さいないのです。しかも、粘土質の土がこびりつくにくい点もこの地域の土壌にあっています。

さらに、長いつるべのようなほり先は地中深く生えている竹の子のブチモト(根もと)を切るのに便利です。

さらに、テコの原理で合理的に体力を消耗せずに何本もほれます。

 

 

 

 

 

 

 

100年以上続く、この地域独特の竹の子堀りの技術や道具は良質の竹の子を育む栽培にのみ発展してきた収穫方法であり、道具なのです。

逆にいえば、京都産のブランドのものかどうか この道具でほっているかどうかでわかるとも言えます。

さらにいえば、京都の隠れた無形文化財といえるのではないでしょうか?

このことは市長さんも知らないかもしれませんね。

ちなみに わたくし たけのこ大使は 今度このことを世界に発信することに協力しました。

近日、お知らせしますが、海外向けに竹の子のことが紹介されることになり、この竹の子堀りをクローズアップしてもらいました。

もちろん市長さんの手助けはありませんでした。(笑い)

政治家や国に頼るより、自分たちのできること少しづつ積み重ねることが、大事だと、この堀りの技術や道具を代々受け継ぐ農家の方から教わったように思います。

 

自称 たけのこ大使 莞鳴

 

八重のころ 竹の子もいったん休憩する?

春らんまんといいたいのですが、この2,3日の朝夕は寒いですね。

せっかく暖房器具をしまったのにまた出すことになりました。

春のこの寒さ、「花冷え」以上の寒さ。

春もあまり寒すぎると竹の子の出が悪くなることがある。

出る機会をうかがっているのに急に冬みたいな気候なので、

間違えたのかもと竹の子も思うに違いない。

実際、農家の竹の子出荷量が減っている。

もちろん、雨が少ないのも大きな要因だ。

毎年、4月の半ばごろで、いつも気温がさがり、雨が降らない週がある。

でもご安心。ひとたび雨がふり、気温があがれば、トンでもないほど、竹の子がでる。

これからくる「盛り」の時期へ竹の子も準備段階に入り、

今は束の間の休憩をとっているのだ。

そめいよしのが散り始め、

八重桜が咲き始めた。

 

いにしえの奈良の桜の八重桜 京(今日)九重に匂いぬるかな。」

(伊勢の大輔)

 

八重の花をみると、この歌をいつも思い出す。

この歌は宮中に上がった若き才女、伊勢の大輔のデビュー作である。

私にとっては竹の子の盛りを告げる歌。

 

彼女に返歌がかなえば、

まほろばの明日香の花が舞いぬれば 京(今日)竹の子も御出でけんかな 」とあわせたい。

 

莞鳴

 

竹の子堀りを堀りさげてみる。その1

竹の子を掘る作業に今春は注目してみる。

一般の方は竹の子を採るといいますが、ここ京都では竹の子は「掘る」といいます。

一般には竹の子は春の山菜に含まれるようですが、ここ京都の大原野地域(旧乙訓地域)では栽培品であります。

山菜は地上からでた芽のようなもの、当然、アクの強いもの。

栽培品の竹の子は地上にでていない、肌の白い、アクのないものです。

しかも、土壌も豊かにして整えてあり、まさに竹の子畑とでも呼んでふさわしいもの。

必然的にその収穫の仕方もちがい、掘り方もその道具も違ってきます。

そこを掘り下げてみます。

昨年に京都式と呼ばれる竹の子の栽培を写真で紹介しましたが、この京都式はわら引き、土持(客土入れ)をします。

当然、自然の竹の子より土がかぶっている分、地上面まで伸びるまでに時間もかかります。

しかもその土は柔らかな上質の毛布のようなもので、やわらかく、白い、甘い竹の子を育みます。

国内や海外(主に中国)のものと京都(旧乙訓地域)の竹の子の品質の違いはここにありました。

1960年代ごろにこの違いを研究し、文献されたのが、京都大学の名誉教授、上田弘一郎先生(故人)です。

京都式の名付親でもある上田先生は大原野の竹林に寝泊まりして、その生態を研究されたこともあり、

どこぞの机上の博士とはちがい、現場肌の研究家であり、探検家でもありました。

 

この京都式を九州や四国の農業関係者が知ることになり、真似(導入)されたのですが、唯一、真似(導入)できないことがありました。

それが、竹の子掘りの技術と堀クワと呼ばれる道具です。

 

つづく

 

 

春 竹の子を三度味わう

3月6日、啓蟄は地面に地中の虫が顔を出すことを意味する日。

しかし、今年は地中の虫も驚く寒さ。おまけに雪。大雪・・。

でも、春の足音こそはしないが、地中の中では春は少しずつ近づいている。

その証拠に老木の梅がうお嘉の庭先に咲いている。

そういえば、昔、「食通の方は春に3度 京都の竹の子を食する。」と、うお嘉の先代の亭主から聞いたことがある。
           
沈丁花の咲くころの3月、
桜の散るころの4月、
そして、つつじの咲く5月ごろ。
         

竹の子にもそれぞれ呼び名がついている。
           
3月は「はしりの竹の子」であり、
4月はまさに「旬の竹の子」であり、
5月「なごりの竹の子」と呼ばれる。
それぞれ 食べる趣きがちがう。
「はしりの竹の子」は寒い冬の中育ったため、少しかたく、しまっていて4月のものほど甘くはないが、風味があり、滋味がある。
これから春を迎える我々の体にあうのだそうだ。いまどきでいうデドックス効果のようなものなのだろう。
4月はまさに 竹の子のやわらかさも甘味のあり、全てにおいて申し分ない「旬」の竹の子の味わいがある。
うお嘉でも4月のころ、日本全国はおろか、世界の食通が足を運ばれている。
京都の竹の子が一番たくさんとれる時期でもあり、竹の子堀りの風景がみられてうれしい。

5月は「なごりの竹の子」とよばれ、みずみずしい、シャリッとした食感を楽しむという。
名残り惜しいという意味でついた呼び名であるが、
このころの竹の子は1日で1メーター以上伸びるといわれ、その成長に必要な成分が3、4月のもの以上に豊富だ。
「なごり」どころか五月病によい食べものといわれている。
私もそのいわれを科学的に知りたく、大学の研究室にまで押しかけたことがある。
チロシンという成分が5月の竹の子には多く含まれ、このチロシンがタンパク質とあわせてとると、脳内でドーパミンを発生させやすくするという。
ドーパミンは脳内で発生すると興奮したり、やる気がでるとのこと。(←詳しくは脳科学者におききください。)
端的にいうと竹の子とタンパク質をとると「やる気」がでて、五月病にならず、梅雨や熱い夏にそなえることができることができるのだそうだ。
春に3度竹の子を食すことは、次の季節にそなえるために良い習慣のようです。
まさに食通とは「医食同源」を熟知したるものなのですね。
さっそく、私もマネしてみます。
沈丁花が咲いたので、

まずは、はしりの竹の子をGETしに走りました。

自分の体のためにもいただきます。
皆様も竹の子でお体ご自愛くださいませ。

合掌

たけのこ大使(?)莞鳴

松竹梅とは 現代人の三友

お祝いの際に席が「松」・「竹」・「梅」とよく使われます。
これは「歳寒の三友」といわれ、松や竹は今年の2月ように寒い雪のふる時期でも青々として、
緑を絶やしません。また、梅は雪の中でも花を咲かせます。そのことからもどんな状況でも乗り越え、
春を迎える植物として、慶事ごとの象徴とされてきたようです。

医食同源の観点からも、この三友から取れる、梅の実や松の実、笹や竹の子は滋養食としても重宝されてきました。
冬の寒さに耐え極寒でもその力を蓄え、花や実を残す。その実は貴重な栄養価をもたらし、松の実は中国でも薬として使われ、笹も笹茶など韓国でも薬草茶として広く普及しています。
梅干しなんか、日本の食生活にかかすことのできないものでもあります。
(ちなみに梅干しは唾液を分泌させ、殺菌効果抜群。)
ご存知、竹の子も「孟宗」の話でも有名です。

中国の昔話で病気の母のために役人の孟宗(もうそう)が冬に竹の子をさがして、食べさせると母の病気が治ったという親孝行な物語。
竹の子や竹には春になると急成長するための様々なエネルギーが含まれているのです。
この成分が病気がちな老人に滋養となったという話でもあります。
長寿を祈る門松に「松竹梅」が含まれるのはこの三友のことからもきているとのこと。
冬の寒さや花粉や公害で免疫力のさがった体に必要な
「松竹梅」はまさに我々、現代人の三友だといえませんか。

こちふかば お雛様にも目に涙 
お内裏さまより 助けとなるは 松竹梅の三友はやし

莞鳴

竹の子の土とぬか床?

最近、NHKの朝の連続ドラマで漬物のぬか床がでてくる。
主人公の亡き祖母から受け継いだ代々のぬかという設定なのだそうだ。
昔から家々にはその家のぬか床が存在していた。

ぬか床は毎日、こねて空気をやらなくてはならない。乳酸菌が死んでしまわないようにするのである。
そして、こねる人や環境によってさまざまに変化して、漬物の味も様々な味になる。
各家庭によって漬物の味が違ってくるのはこのぬか床の成分や菌がそれぞれ違うからだそうだ。
だから、ぬか床は代々家で大事にされ、家の味は親から子へ引き継がれていた。

現代の家庭ではぬか床のある家を探す方が難しいかもしれない。
ぬか床を実際にみたことない子どもたちもいるのだろう。

ドラマをみながらそんなことを考えていると、ふと、竹の子のでる竹林の土も同じだなぁと
思った。
良質の竹の子をだす竹林には必ずといってよい共通点がある。
それは先祖代々の教えを守り、毎年、欠かすことなく肥料や土入れしてきた竹林であることだ。
3世代や4世代の時を越え、毎年かかさず、昔と同じように手入された竹林は豊かな土壌となり、良質の竹の子を産む。
大原野や大枝を代表する京たけのこは100年以上の伝統作業のお蔭で採れるのだ。
「竹の子は勝手にでるんでしょう?」という方もいらしゃるが、
漬物がどうやってできるかや
ぬか床を知らない平成生まれの子どもと同じようなコメントだと思った。
そんなコメントが意外に多いこのお国事情は、和食を世界遺産に認定された外国の方には内緒にしておいてほしい事実です。

莞鳴

たけのこを巡る冒険 その6

ずいぶんと間があいてしまったが、2年前の秋に全国竹会議に出席することがあった。

大阪市内で開催されたのだが、多くの竹材業者の方や竹の研究やアーティストの方と交流する機会に恵まれた。

竹についての様々な角度からの講演があり、意外に知らないことばかりで竹の奥深さを知る。

いつも竹を目にしているのだが、竹について考えることは少ない。

現代人の竹の知識はとぼしく、春に伸びるとか 食べれる とかぐらいだと思った。

竹製品に関しても目にしてる割にどのようにしてつくるのか知らない。

我々 日本人はいつのまにか 竹 のことを忘れてしまったようだ。

食べる方はそうでなく、いまだ健在かと思っていたが、昨年の福岡県八女市で開催された全国竹会議では若い世代の竹の子離れがはげしく、

たけのこの食育をすすめないといけないと議題にあがったほどだ。

竹の子をめぐる冒険は竹の子の食育へもその道をすすめるべきかと思う。

 

莞鳴

竹と正月風景

寒中お見舞い申し上げます。
明日1月20日は大寒。
その前日に京都では雪が降り積りました。
昔の暦や節は不思議とそのようになるものですね。

小生はお正月の元日を京都でむかえ、その日のうちに東京に移動しました。
銀座にて歌舞伎をみるためです。
歌舞伎の初級者の私は見どころがわからず、ただただ、呆然と眺めていました。
イヤホンガイドを借りたらよかったと後悔気味に見ていると。
忠臣蔵の外伝(スピンオフ)的な話「松浦の太鼓」の中で 歌舞伎役者扮する討ち入りの志士のひとり大高源吾が、
竹売りとして登場するシーンがあった。
江戸の元禄の頃、竹を行商で売る商売があったんだと歌舞伎で知る。
それにしても忠臣蔵の討ち入りは冬。江戸の人々は太い竹を何に使うのかな?とおもっていたところ。
京都に戻り、うお嘉に訪れるとすぐにわかった。
門松か!!

この門松は4代目うお嘉の主人のハンドメイドだそうだ。
代々、門松を自らの竹林の竹を使いつくるのが恒例行事。
4代目は赤穂浪士のごとく忠実に門松を毎年つくるのだそうだ。

そういえば、その歌舞伎の演目の話のなかで竹を売る忠臣蔵の志士は歌の師匠、宝井其角より、歌の付け句をとお題をだされる。
「年の瀬や 水の流れと人の身は」と其角が詠む。
そして、源吾の返した付け句がこの物語のキーとなる、
明日待たるる その宝船
この歌の下句は まさに念願の討ち入りの日が明日であると意味している。
しかし、その時 師匠の其角は歌の意味がわからず、最後の場面で松浦の殿様がその付句の意味を悟るところで、
忠臣蔵で有名な山鹿流陣太鼓が鳴り響くというあらすじ。
なんでもあとあとに真相は明らかになるものなのだ。

たけのこを愛する皆様にとって「この春 またるる 竹の子料理」となるのではないでしょうか?
この春はたくさん良い竹の子が出ますようにと忠臣蔵の志士の忠孝を讃えながら祈ります。
そして、 私は志士は志士でも さしずめ猪肉(ししにく)を食らうのがせいぜいでござる。
たけのこ畑を荒らす憎きイノシシ「吉良を討ち取ったり!!(」どんどん!!山鹿流陣太鼓。)荒らされた農家の方に代わって仇討とばかり全部たいらげました。
京都 美山で頂いた猪肉 美味しかったです。 

こんな具合で今年も続けてまいります。
本年もたけのこ日記よろしくお願い致します。

合掌

莞鳴

和食が無形文化遺産に登録されて・・・

平成25年12月4日に和食が無形文化遺産に登録されることが決定された。
国内22件目のユネスコ登録になるそうだ。
日本の食文化の普遍的な価値が国際機関に正式に認められたわけだ。
文化庁によると、ユネスコ政府委員会は「自然の尊重という精神に関連している」などと評価したと伝えられたそうだ。

この登録には京都の料理人の地道な活動が原動力になっているという。

素晴らしいことである。登録への提言活動を支えた皆様には敬意を称したい。
それと同時に無形文化遺産の受け継ぐべき遺産相続人になるものにはその責任や資格が問われることを忘れてはならない。
はたして、我々はその遺産の相続人として和食の遺産たる真贋を見極め、後世にその遺産を伝承することができるのか?
責任重大である。
以前、戦後のGHQの政策で日本の農業政策が指導された結果、日本の豊かな土壌が農薬漬けになってしまったことを書いたが、
古来からのおばあちゃんの味、おふくろの味、頑固親父のお気に入りが和食には色濃く残っていた。
日本の食卓まではさすがのマッカーサーも占領統治できなかったようだ。
古く万葉のころから多くのシルクロードの民が運び、日本の豊かな自然と一体化したものを和える文化が育んだ食。
和食
それは平和の精神と「おもてなし(=人を思いやる)」の心が生み出した遺産である。
和食の意味を本当に理解して実践しているものはこの地上にいるのだろうか?
そんなこと考えながら新聞を読でいると
映画のタイトルが目に飛び込む。
「利休にたずねよ」
本日より全国ロードショウだそうだ。
お茶の楽しみを文化以上に高めた利休様にこの質問を尋ねることができれば、なんとおしゃるのだろうか?
「それは特別秘密保護の立場上お教えできません。」と返されるかもしれません。
(この文章はテロ行為はありません。念のため。)  BY莞鳴

※上記記事は京都新聞(12月5日朝刊)、下記広告紙面は読売新聞(12月6日朝刊)よりコピーです。

春の準備はいつするの?今でしょう!!

師走に入りました。
京都の竹林ではあちらこちらで土入れ作業が行われています。
うお嘉の四代目も12月1日から黙々と土入れ作業を開始されています。

来年の春のために願いを込めて竹との対話しているようです。

土入れの際に土をおこす際にでてくる小さな竹の子たち。

四代目曰く、「この時にでる竹の子のつき方で来年の春の収穫の具合が予想できる。」
で、来春は?ときくと・・。
「今年の倍返しで 来年は豊作やで。」微笑んでいた。
こちらも「じぇじぇじぇ!(喜)」と春への期待が高まります。
さらに丁寧に自らの手で土をならす四代目。

さすが料理人らしい手さばきで土をならす。竹林に敬意をこめて、愛情をこめての作業。
自然への お・も・て・な・し 合掌。
春待ち遠しい 侘助かな BY莞鳴

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    JR向日町駅、阪急 東向日駅)

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